美土里会日記
前理事長・盛田稔逝去
2019.11.4
少し前の話になりますが、改めてお知らせしたいと思います。
令和元年6月10日、社会福祉法人美土里荘の創立者であり、前理事長でもあった盛田稔が永眠いたしました。満102歳、まさに大往生でした。
盛田理事長は大正6年3月15日、七戸町川去地区に生まれました。教職であったお父様の転勤に伴い、県内各地の学校を転校。東京帝国大学入学・卒業後は陸軍経理学校に合格、陸軍主計中尉として軍人の道を歩みました。
国内・中国大陸を転戦したのちに終戦。俘虜(捕虜)生活を経て帰国。その時の蒋介石への温情から、以来台湾への感謝の気持ちを持ち、交流を深めて行くことになります。
帰国後は公職追放の憂き目に遭いましたが、田畑を耕し家畜を飼うなど実践と独学の繰り返しで農業知識を習得。ほどなく教員となり、以降は教育者としての道を歩みます。北里大学教授などの職を経て、青森大学教授、そして同大学の学長へ。青森の教育のため尽力しました。
その他、青森県文化財専門委員長、青森観光審議会会長、ATV番組審議会委員、人権擁護委員など就いた要職は枚挙に暇がありません。
そのような中、昭和60年代になると文化庁による七戸城趾の買い上げが始まり、理事長のまとまったお金が入ることとなりました。「今までお世話になった七戸町へ恩返しがしたい」との思いから、当時の町長に相談し特別養護老人ホーム美土里荘の開設を決意。法人理念を『忠恕』(ちゅうじょ=真心から相手を思いやること、という孔子の教えの1つ)とし、昭和63年の開設以降30年余の長きにわたり理事長として地域福祉の増進に貢献しました。
95歳の時には自分の人生をふり返った『生涯現役』を出版。
また、瑞宝中綬章をはじめ、七戸町名誉町民、青森県文化賞、東奥賞、デーリー東北新聞社賞など表彰も数知れず。生涯現役の前理事長は大いに周囲に影響を与え、そして評価されていました。
晩年は足腰が弱りベッド上での生活も多くなりましたが、知的欲求はなお深く、「●●について調べたい」「まだ本を書かなくてはいけない」と意欲を見せていました。その姿勢に、私たち職員も見習うべき点がありました。
102年という長い人生を過ごした前理事長。
大正から令和まで、実に4代を生きた盛田稔という人物。
その生涯と教えを忘れることなく、職員一同、これからも高品質介護・福祉サービスの提供に尽力していきます。
今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
なお、前理事長逝去を報じた、当会広報誌『はんの木だより号外第2号』がアップロードされております。
はんの木だよりのページ、またはこちら(PDF)からぜひご覧下さい。